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今更だけど「もののけ姫」を観てきたので感想とか


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※2021年一発目が2020年の感想で恐縮です。。。

おつかれさまです。

ヒーローとヒロイン

アシタカとサンが恋愛感情ではなく人としての仲間っていうのがいいよね。如何にも、というかあらゆる面でヒーローとヒロインって感じ。そら物語だからモーニング娘。的に表現すればヒーロー、ヒロインは

 

「READY? HERO! HERE WE GO! 時間さ NOW! LET’S GO!」

 

っていうのかしらね。なんだかもう冴えない自分が転生して云々とかバカバカしくなるくらい清々しいまでのヒーローとヒロイン像。これが嫌味なくきちんと物語として、続きが観たくなるような形で着地させるっていうのが素晴らしい。

「おわり」と「つづき」

スタッフロールのあとに「おわり」ってスクリーンに出るのよね。でも観客のなかで物語は確実に「つづく」なのよ。よくある尻切れトンボで風呂敷畳まずに伏線放置の「これで終わり?!」じゃなくて「もののけ姫」の場合は

 

「今日のおわり、明日のはじまり」

 

っていうのかしらん。人生っていうか生と死っていうほんとうのはじまりとおわりがあるけれど、毎日の日常というものはおわりとはじまりって別のものではなくて同じものよね。

 

それをこの映画では伝えたいというか、そんなことはなくてあたくしが勝手にそう受け止めているのだけれどまぁどうなのかしらん。

キツイやつら

この映画を観ていてキツイな、と思うのは何をやってもダメな奴はダメっていうかそういう星のもとに凡人というのは生まれついてしまっているというのかしら。がんばって云々っていうより自分の器を生きる。それしかできないっていう。。。

 

で、そうした凡人を否定しない。否定しないからこそキツイんです。one more chanceじゃないから。だからすごく残酷だと思うのよね。キラ星、スター、ヒーロー、ヒロインは生まれつき決まってしまっている。

 

ヒーローもヒロインも出自からずっとそうなのよ。転生したら〇〇だったとかないの。根底にあるのは貴種流離譚なんだろうけど、それにしたって凡人の出る幕なしっていうw

あるべき姿

三人目の主人公、エボシ御前。アシタカやサンが若者のあるべき理想像として描かれていたとするとこちらのエボシ御前は大人のあるべき姿として登場する。

 

与えられた権力ではなく自らの叡智で人々を従え、鉄の生産という危険な重労働につくものたちを常に労い慈しむ。不治の病に侵された者たちになんらかわらぬ人としての接し方と慈悲の心をもつヒロイン。森を切り拓くことで人間にとっての豊かな社会を作ろうとするがそのことで森にすむもののけたちと闘いを繰り広げる。

 

この自分のすべきこと、正しいと信じた道をもっている大人ね。くやしいけどなかなかいないでしょ。もちろん現実世界に「仕事として」そういうものがある方はいらっしゃると思うんだけどね。

 

これ大事なところなんだと思うけど大人ではあるけれど「仕事として」やってるんじゃないのよね。ほんとうの意味でみんなのためにという理想が自分のためになっている人なんですよ、エボシ御前って。だから全然ブレない。ひたすら突き進む。

物語は

物語はアシタカ、サン、エボシ御前の三人を中心に進んでいくのだけれど、誰かが悪いということは描かれない。それぞれの考え方、生き様が違うということは描かれてもそれが悪だという描写はない。

 

そこにあるのは己の理想を求めがむしゃらに闘う姿。それが「生きる」ってことの意味なんだと教えてくれているような気がしたします。とはいいつつそれが凡人じゃないのがツライところなのよね。

 

凡人は転生した来世に期待するしかないのかしらんwww


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