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劇場版「機動戦士ガンダムF91」を久々に観た感想とか


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おつかれさまです。

ステイホーム案件?! 

なんと!YouTubeガンダムチャンネルさんが登録者50万人突破ということで特別に24時間限定で今作を公開してくださったのです。しかも何故かabemaTVさんも夏休みガンダム三昧?!ということで今作を公開してくださりステイホーム的な部分とは主旨が違っておりますが、まぁおうちで鑑賞させていただくことになった次第です、はい。

 

ガンダムっていえばF91ですからね。。。ガンダムと聞いてユニコーンだと思ったヤングは人の苦労についてもう一度考えてみてください。

実は 

まぁあたくしAmazonさんのプライムビデオで一度この「F91」をちょろっと観ようとしたのですけれど冒頭30分でなぜか挫折しておりましてきちんと観るのは最初の劇場公開以来久しぶりなのでございます。

オープニングカッコよすぎ 

これね。敵のモビルスーツスペースコロニーの外壁をバーナーで切り開いて侵入してくるところでロゴタイトルドーン!!って感じなんですけれど、カッコいいんですよ、これが。

 

ファーストもΖもコロニーに侵入してくるところから物語が始まるってんで、新世紀でもなんでもなく定番なスタイルなんですけどもやっぱりカッコいい。

モビルスーツのデザイン 

まぁアムロもシャアもいない宇宙世紀で、ジオンではなく新たなる脅威ということで登場したクロスボーンバンガードなる組織。選ばれた人間による支配、貴族主義を掲げる彼らの駆るモビルスーツは当然ジオン系モビルスーツの設計思想とは異なるわけでございます。

 

よって伝統のモノアイは搭載されておりません。これがね賛否両論というより完全に当時は「否」だったと思いました。デザインはガンダム新世紀ということでオリジナルをデザインされた大河原邦男先生によるものなんですけれども、なんでしょう当時のガンヲタ的には全否定というか拒絶反応がすごかったわねぇ。

 

やっぱりすべてのモビルスーツの基本はザクだから的な呪縛ってのがね、今よりはるかに強かったわけですよ。モノアイ信仰含めて。

 

Zガンダム放映時に「こんなのモビルスーツじゃねぇ!」とファーストガンダムヲタから叩かれまくった永野護先生デザインでもモノアイ信仰はキープしていたんですよ、いちおう記号として。

 

で、今回それをすべて捨ててしまう、否定することから始めたデザインが否定されるというスポンサーの玩具メーカーとしては、なかなか厳しい展開でございました。

当時はアレですが今観ると 

そんなわけで当時は敵モビルスーツの扱いは微妙な感じだったんですけども今観るとめちゃめちゃカッコいいんですよ。ガスマスクをイメージした複眼のフェイスといい西洋の甲冑を意識した装甲や武器といい、新しい時代、新しいMSデザインラインってきちんと提示できていたわよねぇ。

 

まぁ当時のあたくしたちがついていけなかったっていうだけだったという。。。別の言い方をするとここから富野ガンダムバンダイガンダムの道が分かれていくといいますか木根尚登先生おっしゃるところの「もう戻れない」ってことなんです、はい。

 物語は 

モビルスーツのデザインが受けなかったというのもあるけれど、そもそものテレビシリーズ企画を映画でやってしまったので展開がダイジェスト的なものになってしまってオーディエンスがあれこれ考える時間がなくラストまで行ってしまうってのも受けなかった一因かしらねぇ。

家族関係 

いつの時代もガンダムに乗り込むのは唐突で身内が軍の開発担当者だからってのがエクスキューズに使われていましたけど今回もそう。でもそこはガンダム新世紀。今までの富野ガンダムの主人公はみな家族が不仲(失礼!)。

 

軍の最高機密の開発に関与しているエリート一家だったりしているわけですけどそれ故に家族より仕事優先って感じのご家庭。でも「F91」に関しては健全な家族を描こうとしたというか、親子がきちんとお互いを思いやっているのよね。

 

家族を守るために命を落とした父親、知識と経験を生かして息子をサポートする母親。家族関係が真っ当だから主人公シーブックにとってF91は居心地のいい場所にならない、あくまで自分が操作する機械、メカでしかないのよね。

 

まぁF91自体も往年の有名なモビルスーツに顔が似ているという理由だけで「ガンダム」と呼ばれるようになっただけで今までの系列とはぶった切った存在、別物ではあるのだけれど。

 

学習するバイオコンピューターを搭載しながら搭乗者の分身であることを否定して、あくまで機械としての扱いだからラストシーンでも半壊したF91に感情移入できない、させないようにしているというか。

モビルスーツパイロット 

いくら2時間の映画とはいえ主役メカが手足を失うほどの攻撃をうけて漂っているのにメンタリティとして「相棒を労わる」っていうのがまったくない。完全に使い捨て。これはいただけない。モビルスーツは軽く扱っちゃうとダメなんですよ、ダブルゼータもそれでこけたと思うのよね。

 

1機しかない試作機に搭乗しておいて思い入れももたないようなパイロットは戦争ものではダメなのよね。たまたま偶然搭乗した民間人なんですよ!ってのはわかるんだけど、マシンに対するリスペクトこそがスペックを超えた性能を引き出すパイロットの腕となるんだから。

で、何も解決していないw 

F91はスペックを超えた性能として「質量をもった残像」という、まぁなんですか、分身攻撃みたいなもんで鉄仮面の操るラフレシアと対峙するわけですが物語としてはコスモバビロニアクロスボーン・バンガードも語られることなくTVシリーズの「Vガンダム」に行ってしまうという。

 

F91の世界観を捨ててしまったのは本当にもったいないことをしたなあと思いますねぇ。アムロとシャア、ジオンの呪縛から逃れた新世紀のガンダムをちゃんと育ててほしかったわね。

 

30年前に全く新しいガンダムが制作されたのに2020年になってアムロとシャアの意思を継ぐハサウェイ云々になるとは思わなんだwってのが正直なところでございます。

 

今見ても全然古くないデザインですよね!!


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