スポンサードリンク

映画「グッバイ・クルエル・ワールド」を観てきたので感想とか(ネタバレなし)

おつかれさまです。

どうすんだ、これ 

いやちょっと予告編にまんまと釣られてしまったといいますか。ちょろっと映画館で観てきた次第でございます。


www.youtube.com

まぁ率直な感想として

 

「どうすんだ、これ」

 

っていう感じでございました、はい。いや予告編は全然間違ってなくてその通りだったんだけどね。しかし。しかしですよ。スカッとするわけでもなくて、涙腺を刺激されるわけでもなくて、ボディにキツイ一撃を喰らったような痛みがあるわけでもなくて。

 

映画としてはこれはちょっと

 

「困ったニャー」

 

といいますか。猫ちゃんだったらそんな風に言ってると思いますよ。感想って言ってもね、ここまで中身がないと、とくに何も思い浮かばないだよね(失礼)。いやあたくしの感受性が劣化しちゃっているだけかもしれないけど。もしかしたらナウなヤングにバカ受けテイストなのかな。う~ん、どうだろう。

だから、どうすんだ、これ 

なんだろうな。

 

「こういうシーンが撮りたい」

 

ってのがあって実際、そういうシーンが撮れている感じ。確かに伝わってきます。それはそれでいいわけよ。

 

まぁ映画というものは多かれ少なかれどの作品も

 

「こういうシーンが撮りたい」

 

ってところから、じゃあどうやってそこに辿り着くかってのはあると思うのね。で、物語としたら、そこがすごく大事よね。見せたいもの、見せたいシーンがあるってのはいいと思うんだけど、じゃあそこに

 

「伝えたいもの」

 

があるのかっていうとそういうわけでもないwってパターンかしらね、今回。

 

「映像はええぞ!」

 

ってそれだけじゃね。。。

とにかく、どうすんだ、これ

まぁ映画館でお金を払って

 

「う~ん、う~ん。。。」

 

って唸りに行ったわけじゃないんだけども、まぁお金を払った以上はそこ、作品に何らかの意味というかメッセージを無理矢理にでも見つけないといけないタイプの強迫神経症に囚われ気味のあたくしですが、流石に今回はね、

 

「どうすんだ、これ」

 

っていうね。いや寧ろそれこそが作り手側のメッセージだったのではないかって気すらしてくるのね、本当に(何が?)。

で、どうすんだ、これ 

まぁなんだ

 

「自分の居場所のない世界を破壊するには?」

 

って物語だと思うんだけれでも、居場所のない感じってのは、自分自身の内面の話で、なかなか外側、他人様にはわからないわけですよ。椅子取りゲームみたいに物理的に

 

「おめーの椅子ねぇーから!!」

 

っていうのと違ってね。表向き、居るところってのはあるんだけれども、ずっとそこに対して違和感を抱いている。でもそれはやっぱり他人様からはわからないわけですよ。本人が望んでいない境遇だとしても一応、傍から見ると収まっているからさ。

 

世界とは、その人が居ても居なくても回っていくわけで、じゃあそもそもいる場所なんてはじめからなかったじゃねぇかって話で、居場所のなさはある意味正しい感覚で、だからこそ人はあがき苦悩していくわけですよ。

 

まぁある意味この映画の登場人物たちが感じている疑問はまともというかwやっていることは全然まともじゃないんだけど。

いやさ、どうすんだ、これ 

血で血を洗う。絵面的にはそんな感じなんだけど、そういう方向に吹っ切れている登場人物たちを観ていると、スクリーンのこちら側だと感情移入っていうのは難しいわけです。そこにリアリティはないからね。いや作り物なんだからリアリティなくてもいいんだけどw説得力はないとおかしいでしょ。

 

稲葉浩志先生おっしゃるところの

 

「はずれていく 自分のピッチを どうにかしたいんだろう」

 

っていうところで、あがいている姿が人の胸を打つのであって、ここまで吹っ切れちゃっていると「特殊な事例」というのかなw

 

パフォーマンスが過ぎるというか、完全にパフォーマンスに特化して中身がない(失礼)。これ、ぶっちゃけ元ネタの映画のパロディなのかなと(失礼)。

結局、どうすんだ、これ 

理解に苦しむ、ぶっ飛んでる状況と行動原理のエピソードもあれば、ああ、そうだろうなと思えるエピソードもある。だけど折角共感できそうな物語があっても最終的に思考が常軌を逸しているから泣けもしないし笑えもしない。

 

このシーンを撮りたかったんだろうな、って感じのラストシーンなんだけど、やっぱりさ、スクリーンのこちら側からするとそれだけっていうかね。120分以上の上映時間をかけてまったく何も残らないっていうのかな(失礼)。話がわからないんじゃないのよ。ラストシーンまで辿り着いての、この

 

「で?」

 

って感覚。伝わりますかねw

え~総評 

まさしく

 

「どうすんだ、これ」

 

っていうのかしらね。

 

「この世界を、この人たちをどうすんだ?!」

 

って話なんだろうけどさ、こっちとしたらお金を払って観ているわけだから

 

「どうすんだ?!」

 

って投げっぱなしも困るというかwいやそういうの好きな人も世のなかには居ると思いますよ。投げっぱなし。

 

でもねぇやっぱり作り手側の答えってのはいちおう用意しておくべきじゃないかしらん。思想なんて大層なものじゃなくていい。ただ「想い」っていうのはあってほしいじゃない?う~ん、まぁそんな感じの映画でしたね。

「モーニング娘。'22 加賀楓の卒業に関するお知らせ」の感想とか

おつかれさまです。

そんなわけで 

www.helloproject.com

引用元http://www.helloproject.com/news/15013/

 

しばらく寝込んでおりました(嘘)™。

 

最近は、

まぁあたくしコロナ禍になってからハロプロの現場とは疎遠になっていたようなところもありまして大変恐縮なんですけども、卒業の報に関しましてはいつの間にかといいますか時の流れというのは残酷だなぁと思った次第であります。

まぁ残酷って言ったらちょっとオーバーだけどねw

加賀さんといえば 

加賀さんといえば横山さん、横山さんといえば加賀さん。そんな比較対象というか何の意味があったんだってところから始まる13期。物語が欲しかったのかもしれないけれど在野の士という基本(何が?)をすっかり忘れてふたりとも研修生出身の13期にあえて大上段からの


www.youtube.com

『BRAND NEW MORNING』なんてずいぶん大きく出たなぁと正直な話、思っていた次第でございます。

正直ついで 

まぁ正直ついでに言うと、今回の報につきましては

 

「また失敗したのかしらん」

 

っていうね。なんの失敗かといえばもちろんアレ、アレですよアレ。アレってなんだよ。アレっていったらアレ。例のやつ。

 

例のやつって言われてもね、なんでしたっけ?歳とると言葉が出てこないからね。あぁ思い出しました。世代交代。世代交代ってやつです、はい。

 

9期、10期が加入したころは

 

「上手いことやったなぁ」

 

って感じでしたけど、まぁ近年は不発というか(失礼)。担ぐ神輿がないって言ったらいいのかしらね。『BRAND NEW MORNING』でフラッグパフォーマンスがありますけども13期も先導する側になれぬまま、時間だけがとてつもないはやさで流れて行ってしまうのよね。

あれ以来 

今度はアレじゃなくてあれ、あれ以来。あれってなんだよって言ったら鞘師さんの卒業以来って話なんですけども、トラウマなのか事務所側は、モーニング娘。の顔であったりセンターであったりエースであったりっていう、わかりやすいゴリ推し(失礼)をしなくなってしまったじゃない?

 

昔から言われているようにモーヲタってのは

 

「看板にまとわりついているダニ」(かなり失礼)

 

だからさ、強がりも含めて

 

「誰がいなくなっても大勢に影響なし」

 

ってスタンスではあるんだけど、そういう見た目の象徴、シンボルってのはやっぱり大事で主役機の交代劇はパフォーマンスとして必要でしょ。

 

群像劇っていうとなんか「ナウい俺わかってる感」でちゃうけど(そうか?)

 

「誰もが主人公」

 

とか本当にそんなのファンタジーの世界に求めてる?って思うのね。いつの時代も大衆が待ち望んでいるのは「ヒーロー」であり「ヒロイン」なんだよ。絶対正義ってのはその他大勢である民衆の憧れなのよ。

 

それはアンチを呼び込む絶対的な装置でもあったりするわけだけど、本編あってのスピンオフであってドキッ!スピンオフだらけの水泳大会(何が?)って盛り上がりには欠けますでしょ。

観たいのは

あたくしたちが観たいのは「外伝」じゃなくて「続編」でしょ?!話を先に進めろよっていうね。

で、加賀楓さん 

苦節〇年みたいなところで物語を背負いながら加入してきた加賀さんが、本編の主人公になる前に舞台から去っていくという。ガンプラとか温泉とか積み重ねた外伝的ストーリーはあったと思うのだけれど、結局のところ本編としては神輿の上に立つことなく離れていくという。

 

いいのかそれで?!って話なんだけど大本営発表としたら

 

「それでいいのだ!!」

 

とのこと。本当かよ。まぁいいんだけどいいんだけどいいんだけど。

う~ん

森戸さんの時も思ったのだけれど、なんだろうな、ちょっと物言いが過ぎるかもしれないけど、背負わせているものがあって加入させているなら、ちゃんと担いでやれよって思うのね。

 

そら潰れてしまうかもしれないし何もかも嫌になって放り出してトンズラしてしまうかもしれないけれど、あたくしたちは何処にも引き返せない

 

「彼女たちの覚悟」

 

ってヤツを待っているわけですよ。待ち望んでいるわけですよ。市井の一市民には絶対に訪れることのない、舞台に賭ける人生ってのに恋焦がれているわけでしょ。そういうところ下手なんだよねぇ。。。なんてねw

何の話だっけ?

加賀さんに限らないけども卒業する、辞める理由とかまぁあの事務所のことだから、何もしなくてもwあるようなないような定年、25歳前後まではグループに居ることができると思うのね。とんでもないことをやらかさない限りね。

 

外伝の主人公として楽しくやっていてもいいんだけど、グループに加入した以上の刺激がないともうね、ぶっちゃけ飽きちゃうでしょ。

 

で、それは自分自身で壊すしかない。決まりきった役割というか分をわきまえなければならない(何が?)毎日のなかで、唯一自分で起こせる革命が

 

「この支配からの卒業」

 

なわけで、まぁ加賀さん御本人のおっしゃるところの

 

「全てやり尽くした」

 

というのは自分自身を納得させる為の言葉といいますか、彼女のモーニング娘。メンバーとしての将来に期待していた人たちに向けてではないよね。

え~総評 

まぁみんな気になるのは、今後のモーニング娘。より卒業理由の真偽だと思うんですけども、ぶっちゃけ真相はわからないじゃない?今も昔も黙って大本営発表を受け入れるのがヲタとしての正しい在り方なのでw康珍化先生おっしゃるところの

 

「それは そうさ 確かにそうだけど」

 

っていうところで、ごもっともと納得するしかない。良くも悪くも

 

「誰がいなくなっても大勢に影響なし」

 

なのよね。

 

アップフロントさんは大人を育てるのがあまり得意ではないというか、上は詰まっている(失礼)し、下は詰まってきた(失礼)で、ヲタから見たら

 

「アイドル活動」

 

なんだけども、内側からみたら結局

 

「会社」であり「仕事」

 

だから「定年まであと〇年」ってなった時に誰でも色々思うところはあるだろうと。

 

笑い話で全員卒業の順番待ちなんてのもありますが、御本人の言葉とは裏腹にどうにもこうにも途中退場の感が拭えないのは寂しいかぎりでございます、はい。

 

色々予定はあると思うんですけども、そろそろ救世主伝説お願いしますよ、アップフロントさん!!w

ホテルウィングインターナショナルプレミアム渋谷をおススメする理由

おつかれさまです。

こう見えて 

まぁこう見えてってどう見えているかわからないですけども、あたくし渋谷に通学しておりましたので土地勘はそれなりにありましたが、それも随分と遠い昔のこと。まだ副都心線とかなかった頃の話だからね、そりゃ記憶も何もあったもんじゃないはずだわ。

というわけで今回は 

渋谷公会堂のサマーコンサートに参加しまして、夜公演の終演後、拙宅まで戻るのもなかなか大変なものですから、こちら、ホテルウィングインターナショナルプレミアム渋谷さんにお世話になることにいたしました次第です、はい。

www.hotelwing.co.jp

何が良いってね 

サマーコンサートの会場は渋谷公会堂いやLINE CUBE SHIBUYAなう。って感じなんですけども、この会場からホテルまでが近い。本当に近い。徒歩5分、かかるかかからないか。

地図には表記されていないけど赤丸のあたりにあります

開演前にちょっと寛ぎたいイベント参加者としては本当に助かります。

 

まぁロン毛にしてセンター街の入口に座り込んでいても良いんだけど、なんか最近そういう雰囲気でもないじゃない?

 

で、とくに今回は昼夜2公演ありますので、昼公演と夜公演の間にホテルに戻って涼しいお部屋で一服できる。また上手い具合にホテルの入口が渋谷区役所や渋谷公会堂からほぼ直線のところにあるんだね。開演前ギリギリに行って終演後即戻ってくることが可能。

近いと言えば 

基本こちらのホテルを利用される方は渋谷駅方面からいらっしゃるような気もするんですけども、何気にJR原宿駅、地下鉄明治神宮前駅からでも徒歩で問題なし。むしろ人通りを避けたい御仁には、こちらのルートがおススメなほど。あたくしも今回はそちらから参りました。

お部屋 

まぁあたくしの宿泊したお部屋はシングルでいわゆるひとつの

 

「ベッドでお部屋スペースがほとんど占拠」

 

されているタイプでした。圧迫感っていうのはとくにないですけども、ズバリいうとデブ(失礼)いや大柄な方は、デスクと椅子とベッドの間隔、スペースというか隙間に入るのが大変かもしれない。

どちらかというとデブ(失礼)には椅子とデスクの間がしんどいかも

 

ついでにいうと椅子の脚にコロコロがついていないので、座ったまま移動みたなアクティブライフ(何が?)に慣れている方は不便かも。ちなみにデスクの天板は開閉式というか折り畳み式だよ。

常時、ノートパソコンと書類を拡げたいしたい方には狭いかも

 

で、逆に洗面所兼お風呂の方がスペース的には余裕ありますよ。寧ろここで作業したくなるくらいw

 

あ、こちらのホテルは洗面所に歯ブラシとかないから必要なアメニティはフロントでチェックインした後、お部屋に向かうエレベーターに乗る前にとってこないとダメよ。あたくしとしたらオレンジペコーがあったのが助かります。

テレビの位置 

ホテルに泊まると個性が出るのがテレビの位置。あたくしは普段からあんまり真剣にテレビを観ないタイプなので良いんですけど、テレビっ子にはなかなか微妙な位置にあるといいますか。

 

まぁ壁面に設置って考え方なんだろうけど、デスクの作業スペースの上っていうのかしらん。何かしながら視聴するにはちょっと近すぎ的な。最近のテレビは大きいからね。

エレベータホールの 

一人で宿泊すると、エレベーターホールの近くの部屋にあたることが多いんですけども、たぶんたまたまじゃなくて業界の暗黙のルール的なものがあると疑ってしまいます。もう何連続かエレベーター間近の部屋を割り当てられております。

 

まぁそれはそうとエレベーターに近いお部屋でも静か。これも助かります。

静かといえば 

朝ね、静かなんですよ。早い時間からガンガンお掃除しているホテルもありますけどもこちらは実に静か。いや、お仕事だから良いんですけども深酒(嘘)™して朝からダラダラしている身としては、お掃除の音は

 

「早くチェックアウトしなきゃ」

 

みたな感じで強迫観念に囚われてしまうわよねwまぁそういうのは全然なかったのでふつうにダラダラしておりました。別にやることもないしねw

ホテルのお食事処を利用しない方へ

場所柄食事処には困らないのだけれど、このご時世、見知らぬ街での外食も気が乗らねぇって方もいると思うね。

 

で、そういう方にはここは大都会だからコンビニも豊富なんですけども、あたくしのおススメはホテルから徒歩五分くらいのところにあります、イオンさんの小型スーパー「まいばすけっと渋谷神山町店」さんです。

 

アベマタワーの方にあるんですけども入店する前はね、お店が半地下だから田舎人からするとちょっとヤバい感じもしないでもないんですけども、そこはイオンさん。レベルは保たれている(何が?)のでご安心ください。

 

ルフレジもありますが有人レジを利用しました。店員さんは、あたくしのようなくたばり損ないにもとても親切でした。

買い出しも済んで 

まぁチェックインする前に買い出ししてしまって、それでも早くホテルに到着してしまったわけですが、こちらのホテルでは14時チェックインだったのですが、お部屋の準備ができているとのことでお時間より早めに入れたのが、これまた助かりましたね。

 

何処とは言いませんが、本当に機械式?なのかチェックイン時間ならないとお部屋に入れないところとかありますでしょ。いやまぁそれはそれで正しい姿なんだろうけども、ジャストにホテルに到着するわけでもないからね。

 

早く到着した時は早めにお部屋に入れると助かります。

気になったところ 

ちょっと室内を物色してみたんですけども、見当たらない。あたくしだけかもしれないけど見当たらない。なにが見当たらないって貴女、ホテルのwifiのパスワードが書いた用紙がないのよ。

デスクの上にもベッド周辺にもwifiパスワードがない?!

 

何処かにはあるんだろうけど、あたくしには見つけることができなかったわね。

 

貴族の皆様はwifeとか不要の使い放題プランなんでしょうけども、こちとらそうも言ってられねぇという格差社会の現実を噛みしめながらのwifiパスワード探しで途方に暮れる気の弱いピエロ気分を満喫。

 

で、結局どうしたかっていうとモバイルデータ通信でこちらのホテルのwifiパスワードをネットで検索しまして無事ホテルのwifi接続完了。お部屋にwifiがあると助かるね。

 

って微妙に本末転倒な気もいたします、はい。

え~総評 

渋谷公会堂でのイベント参加者の視点として会場から近い、ってところでお世話になりました。

 

細かいポイントとしては便座がホカホカ。わかってるなって気がしますよね。便座が冷っとしているホテルありますでしょ。ちょっと心臓に悪いわよね。そういう意味でもこちらのホテルは安心でしたね。

 

で、渋谷公会堂のイベントに参加する方には会場からの往復が苦にならない距離にあるってのは非常に大きいと思います。

 

会場から近い、最寄駅から近い、近くに飲食店もあるが夜は静か。空っぽの街角といいますか、大都会渋谷で喧騒を逃れたい事情のある方(何が?)には特におススメ。

お部屋から眺める大都会東京渋谷の街並み(部屋によるだろ・・・)

 

映画「五等分の花嫁」を観てきたので感想とか(ネタバレなし)

おつかれさまです。

完結編 

いや~映画の公開をずっと楽しみに待っていたんですよ。なんてったってアイドルいやなんてったって完結編だからね。今日という日を待ちわびていたんです。


www.youtube.com

なんてね 

ずっと待っていました!なんてね(嘘)™。本当はね、原作未読、TVアニメシリーズ未視聴だから。まぁいつもだいたいそうなんですけども、原作ものか劇場オリジナル作品かどうかは関係なくふらっと鑑賞してきた次第であります。

 

「漫画読んでいない」「TVアニメ観ていない」

 

そんな前提の鑑賞なんで「完結編」ってのはあんまり関係なく鑑賞させていただいた感じです。だから結末が原作通りなのか改変しているのかもよくわからない。

 

何の思い入れもないのが良いのか悪いのか。ただ予備知識がなくても楽しめる作品に出会えると嬉しいわね。

だいたいね 

最終回ネタというか

 

「五当分の花嫁」最終回は交通事故で五つ子ちゃんの身体がバラバラになり、無事だった部分を手術でつなぎ合わせて一人の花嫁にした 

 

なんて話をわりと真に受けていたクチだからねぇ。映画館で観たら全然違うエンドじゃねぇかっていう。まぁある意味、裏切られました。どこでそんなデマ仕入れてきたんだっていうのは今となってはの話であります。

正ヒロイン 

ヒロインが五人、まぁ五つ子ちゃんだからね、いるんだけども誰が正ヒロインか初見でもわかるようになっている。映画で初めてこの作品に触れたあたくしにでもわかるようになっている。なんならグッズ売場でもうわかっちゃうくらい(ほんとかよ)。

 

だからラストも不条理さってのはまったくなくて。原作を知らないけれど、五つ子ちゃんのうち誰もが選ばれる可能性を匂わせてくる構成にも

 

「いったい誰が選ばれるの?!」

 

みたいなハラハラドキドキはない。

 

「この子が正ヒロインなんだろうな」

 

っていうのがわりと初めから見えているので王道というかね。

 

人気順はともかく選ばれない他の子のヲタになると、なんていうのかな、選ばれない為に存在していると言ったらアレだけど、その子のことを思うと胸が苦しくなるんじゃないかな(そうか?!)。今作に限らず良い作品とはいつの世の中もそういうもんかもしれないけどね。

 

いやまぁそんな気合を入れて応援しているヲタがいたらね、いいと思うわね。選ばれなかった子も救われると思う。

最近のヲタってスマートじゃない?!勝ち馬に乗らなきゃいけないわけでもないんだろうけど

 

「負けヒロイン」

 

に対して何もできないけども、柱の陰から俺だけはおまえにねっとりとした熱い視線をつらぬくみたいなさ。そういうのないよね。

 

「これっきりだなんて決していわせない」

 

って、選ばれない不条理に抗うより

 

「わかってます、わかってます」

 

的な感じでね。何言ってんだかさっぱりわからんけどw

負けヒロイン 

五つ子ちゃんのうち四人は選ばれないわけだから、「負けヒロイン」の生きる道というか彼女たちをどう救うかってな話なんだけど、劇中での描き方としたらそういうのは特になくて。

 

で、ないんだけどもちゃんとハッピーエンド。悲壮感っていうと大袈裟だけど

 

「本当にそれで良いのかい?!」

 

って気持ちにはまったくならない。本心で言えばこの結末に納得していない子がいるとは思うけども、そこはね、やっぱり描かれないんですよ。

 

方向としたら逆に

 

「雨降って地固まる」

 

的な。何処まで、行くまで、やるまで、五つ子ちゃんはずっと一緒なんだよっていう。劇中でも語られるように彼女たちのつながりが切れることはこの先ないんだろうなと。そんな終わり方。

 

エンディングには立ち上がって拍手をしたくなるほど(ほんとかよ)。上杉と中野さんとの結末もそうなんだけども五つ子ちゃんの人生ってのが輝く瞬間、そんなオーラスなのよね。

ガッデム祭り 2022 

文化祭が物語の舞台の中心だからっていきなり「ガッデム祭り」ってなんだよって話。まぁちょっと言ってみたかっただけなんだけどね。なかなか日常生活で

 

「ガッデム!!」

 

とか吐き捨てる機会ってないじゃない?で、

 

祭りといえば同時期に鑑賞していた劇場版「からかい上手の高木さん」を観た後は

 

「ガッデム!!」

 

みたいなことは感じていたわけですが(何が?!)同じくトゥルー・ラブストーリー、純愛ラブコメに括られるであろう映画「五等分の花嫁」に対しては、そういうのないのね。全然ない。

 

西片と高木さん、中学生の恋愛に

 

「ガッデム!!」

 

していたのに、これが上杉と中野さん、高校生になるとそうじゃない。なんなんだろうなって思うに、OVER&OVER BOB BLOCKMAN MIXな言い方をしますと

 

over&over 終わると思ってたけれど 

over&over こんなに愛しているんだから 

over&over 全てがまた始まっていく 

 

ってことなんですよ(何が?!)。

 

「五等分の花嫁」に関しては誰も選ばないっていう選択、そこで今までの日常にケリをつけること

 

「それもまた人生」

 

誰かを選ぶことで他の誰かを失うこと

 

「それもまた人生」

 

ちゃんとさ、そこに決断があるわけですよ、自分で自分のレールを走りだそうとする、そんな自身の人生を全うしようとする意思、逞しさを感じるわけです。ちょっと言い過ぎだけど

 

「生きていくってそういうことだわよね」

 

ってくらいのことは、ギュっと詰まっている。

 

西片と高木さんはね、言葉は悪いんだけどもやっぱりガンダーラの住人っていうのかな。絵空事、いや実際に絵なんだけどもwそこにある汗と涙は、人生の代償ではなくて。

 

まぁ代償を差し出すって、そんな中学生にしろ高校生にしろ未成年の人生、山あり谷あり、一歩進んで二歩下がるじゃないだろうってのはもちろんわかります。

 

ただ、なんだろうな

 

「君と出会えたから」

 

ってのはあってほしいじゃない?音を立てるか静かにかはわからんけど

 

「何かが変わっていく」

 

っていうね。昨日の続きが今日で、今日の続きが明日で。でも確かに昨日と今日と明日は違うんだ。なんで違うんだって

 

「君と出会えたから」

 

っていうのが嘘でもあったりするとショーとしたら素敵というか助かるじゃない?華麗かどうかさておき人生という名のショーではね、やっぱり、そういうことがあったらいいよね。

 

で、映画を観るってのは、そういう嘘を求めて1900円を払ってるようなところもあるわけです。

 

まぁ何でも意味を見出そうとするのはヲタクの悪い癖よね。で、映画「五等分の花嫁」には、そういう嘘がきちんとある。そんな風に思える映画だったわね。

 

え~総評 

あたくしは映画館自体が好きなので、つまらない映画(失礼)を観ても

 

「時間を無駄にした!金を損した!」

 

とかはあまり思わないタイプなんだけども、つまらない映画(失礼)の方が筆が捗るのは事実。あれなんなんだろうな。たんにブツブツ言いたいだけなんだろうか。

 

さて、映画「五等分の花嫁」。今作はおもしろい。わりと満足しちゃって書くことがないくらいw

 

上映時間は2時間以上あるけど苦痛にならない。原作もTVアニメシリーズもまったく観ていないけれど物語に納得できるし楽しめる。退屈しない。

 

「何だよこれ・・・」

 

みたいなことがない。全て説明できているかというとそうではないんだけども「人間の集中力は60分が限界」説信者なので、2時間以上あったら半分は右から左に抜けて記憶になくてOK(何が?!)。

 

映画自体、ものすごくきちんと、丁寧に、真面目に作っているんだと思う。しかしながら

 

「完結編だけ観てもこの満足度なんだから初めからずっと追いかけていたら・・・」

 

なんていうのはないw。

 

「五つ子ちゃんの物語を遡って・・・」

 

みたいな気持ちにはならない。一本のアニメ映画として完成度が高いんだろうね。もうこれで、お腹一杯。今作だけで五つ子ちゃんと上杉の関係、大袈裟に言うと彼氏彼女たちの青春を納得させるだけの出来映え。

 

きっとそうっす そんな気がするっす。


www.youtube.com

今観てもいいねw

引用元https://www.tbs.co.jp/anime/5hanayome/

 

『機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島』を観てきたので感想とか(ネタバレなし)

おつかれさまです。

映画自体は 

映画の鑑賞自体はわりと前に観ていたんですけども、何かの映画と梯子したせいか内容をよく憶えていなくてw歳をとると困ったもんです。だいたい何の映画と梯子したのかすらも記憶にない。そんなわけで感想というかなんといいますかw


www.youtube.com

これでも観て少し思い出せよ・・・。

何故? 

誰もが感じたことだと思うんだけど

 

「なんで今更?!」

 

って話ですよね。TVシリーズの焼き直し。

 

「これを待っていました!!」

 

ってことはないよね(失礼)。結局、初代ガンダムを超える新作ガンダムというのはもう生まれないだろうという諦観。だからと言って

 

「じゃあ初代ガンダムをリメイクしますか!!」

 

とはならんでしょう(失礼)。

 

ユニコーンに託したはずの夢というか、そんなものはすっかり忘れて、親子でRX-78‐2を崇めてほしいのかもしれない。

 

玩具屋さんの事情はともかく、まぁなんだかんだで新作が上映されるということで観に行ってしまう。だからヲタはダメなんだけどw好きなんだからしょうがない。

今更感 

新時代のスタンダードとなる次世代のガンダムを一生懸命作ろうとしている昨今、というかずっと試行錯誤の連続で、まぁ当時のブームを再び、とかはまさか思ってもいないだろうけどね。それは作っている方も観ている方も。

 

そんな大上段に構えた期待。「燃え上れガンダム」なんて本心では誰も本気で思っていなくて、ぶっちゃけ義務的に作っていや作らされて、観ていや観させられてって感じしかないようななかで、なんとなくひとつ納得できそうな、旧来のヲタと新しいヲタ、ともに納得できそうな作品が「閃光のハサウェイ」だったわけよね(そうか?!)。

 

「あの続きどうなったんだよ」って続編を待っている間に上映されるのが初代TVシリーズの焼き直しってので

 

「どうすりゃいいの変になりそう(稲葉先生どうもすいません)」

 

気を取り直して 

大人の事情はともかく今回の映画の話をしましょうよ。初代TVシリーズとかほとんど内容を憶えていないので今作はちょうどいいと言えばちょうどいい。あたくしと同じく痴呆気味の、そんな先輩諸兄には完全新作として楽しめる。

 

少しでも前世の、いやベースになったTVシリーズの話を憶えていたら結構な違和感なんだろうけどね。

ガンダムといえばモビルスーツだろ 

ガンダムのお楽しみといえばモビルスーツ。今作のモビルスーツは何処かで見たことあるような、ないようなこれまた微妙いや絶妙なデザイン(失礼)。

 

しかしMSVというか

 

「今更そんな機体あんのかよ?!」

 

っていう超絶オリジナルTVアニメ原理主義者でもない限りはね、全然許容範囲ですよ。まぁそういう方は今作のガンダムのデザイン自体が

 

「(俺の)ガンダムはこんなんじゃねー」

 

って感じで拒絶反応が出ているだろうけどね。で、今作のRX-78‐2に関してはちとやりすぎない、つまらないところは正直ある。微妙いやつまらないという意味では絶妙なライン(失礼!!)。

 

これが今の解釈なのかって言われても違うだろっていう。今の解釈なんじゃなくて玩具屋さんの解釈なんだよね。思い出のなかのRX-78‐2と

 

「違う、違う、そうじゃない」

 

ってことじゃなくて、プラモデルから逆算したデザインっていうかね。

 

「カトキイズムじゃねぇんだよなぁ」

 

ってなかなかね、好みの問題って言われたらまぁそれまでなんですけども悪い意味で

 

ガンダムってこんな感じでしょw」

 

っていうのを体現している。リスペクトを拗らせているっていうのかな。

 

「今」の解釈は難しい

そもそも「昔」を「今」にしてみましょうって言ったって無理な話。カッコいいかと問われたら、全然カッコよくない。唐突に「昭和を令和にしてみたよ」って言い出すこと自体に無理がある。

 

FSSみたいにストーリー上は同じ機体なのに何故かwデザイン上はまったくの別物にしてしまった方が、なんて思うけどね。

 

だからMS、モビルスーツのデザインに関しては今回は完全にコント(失礼)、パロディ(失礼)って感じるであろうことは覚悟の上での企画だったんだろうから、アレコレ言い出すのも違うのかもしれない。

 

いやだから作品としては 

う~ん、モビルスーツ戦を期待している人にもドラマを期待している人にも損はさせない、っていうのかな。ちゃんと見せ場はある。

 

しかしながら別の言い方するとオリジナルに思い入れが強ければ強いほど苦しむことになるのはリメイクの宿命というか、違和感を抱えたままエンドロールを迎えることになる。そんな作品。

 

だから全くの新作のガンダムとして見た場合(そんなスタンスでどれだけの人が鑑賞できたかどうかはわからんけど)、

 

「このガンダムも悪くないね」

 

って感想だと思うんだよね。アムロはじめホワイトベースのクルーのアットホームな職場感といい、ドアンと島の子供たちの暮らしといい、カッコつけない(カッコつかない)カッコよさ、ナチュラルなやりとりとかね。

 

閃光のハサウェイ」って、そのあたりちょっとスカしていたから。そのノリを期待していた人からするとコミカルに見えちゃうと思うんだけね。

 

アムロは軍人でガンダムを任されたエリートパイロットなんだよね。ただハサウェイと比べると雇われ軍人なんだ、どこまで行っても。とくに今作では若いから、自分たちの正義ってのを何の疑いもなく守る立場なんだよね。

 

たぶんTVシリーズよりは大人になっていると思うんだけども、自らの組織を抱えて世界を本気で変えようと企むマフティ―ほどの信義はない。体制側の一構成員でしかないアムロ連邦軍の正義を振りかざして闘う。で、ドアンは組織ではなく己の正義のために闘う。とりあえず

 

「悲しいけどこれ戦争なのよね」

 

と言いたいだけちゃうんかと。

 

ネタバレになるのでいいませんけど 

アムロがドアンと接触したことで、今の自分の在り方を見直したそんな回なんですよ、そんな話なんですよ、この回は。って言われたら信じちゃう感じ。

 

でも、その後のアムロは結局最後まで雇われ軍人だからさ。この映画を観て何か人類の覚醒云々とかそんなのことも全然なくて。物語的にもそんなわけのわからないことは必要としていなくて。

 

人間同士の理解の仕方が精神論じゃなくて、もっともっとフィジカルなんだよね。ニュータイプが云々とかなくて、ぶっちゃけそれはそれで問題なし。そんなんじゃなくても人間って通じ合えるでしょっていう。

 

昔の話だからって言えばそうなのかもしれないし、今の頭でっかち?にガツンと叩きつけたいということなのかもしれない。

え~総評 

ブツブツ言ってますけどもガンダムという名前の新作が観られること自体は有難いし嬉しい。ただ今回はなんて言ったらいいのかしらね。

 

例えたら安室奈美恵さんのラストアルバムみたいっていうのかしら(何が?)。昔の曲が収録されているから、懐かしくなって聴いてみたら新規に録音されている音源じゃねーか的な。某TKのコーラスが肝なのに消されちゃってるし。欠片でもオリジナルを憶えて憶えていたら即「これじゃねぇ」っていう違和感。

 

大人の事情はともかく、

 

「確かに『これ』なんだけど、聴きたいのは『これ』じゃねぇんですよ」

 

っていうかwもういっそのこと

 

「シン・ガンダム

 

なんてタイトルだったら「あ~」とか「う~」でいいんだけど(痴呆?)。

 

「これを待っていました」

 

ってわけでもなく、もちろん

 

「お待たせしました」

 

ってわけでもない。本当に初めから終わりまで「なぜ?の嵐」。私は孤独な少女ってなもんですよ(秋元先生どうもすみません)。

 

あ、物語自体はね、良いと思います。ニュータイプ疲れwというか(失礼!!)最近は酷いでしょ。

 

どのガンダム作品かは申しませんけども劇中の台詞に

 

「まともじゃない・・・」

 

って言うのがあるのね。劇中の一般兵の台詞なんだけど、一般兵どころかスクリーンのこちら側のヲタからしても、そう言いたくなるような感じ、ありますよね。

 

人の意思がサイコフレームに共鳴云々に食傷気味(失礼!!)の方には「ククルス・ドアンの島」、おススメです。

劇場版「ソードアート・オンラインープログレッシブー星なき夜のアリア」を観てきたので感想とか(ネタバレなし)

おつかれさまです。

一夜限りのリバイバル上映 

あぁそういう企画好きですよ。続編公開も随分と先のような気がしていたけれど、もうすぐなのね。時の流れのはやさに吃驚です。


www.youtube.com

夏の扉どころか秋の扉だよ

原作シリーズ未読、TVアニメシリーズ挫折。劇場版オーディナル・スケールのみ鑑賞済み。こんなあたくしにとって何がプログレッシブなのか、さほど思い出もないままに場末の映画館の扉をノックした次第であります、はい。

 

ちなみにこのブログを書くまで

 

ソードアート・オンライン

 

ではなく

 

「ソード・アート・オンライン」

 

だと本気で思っていたわけですが、細けぇことはいいんだよ!的なユーモアセンスの違いということでご容赦ください。まぁそんなレベルの人間の感想なんで、たいした話じゃございません。シリーズのファンの方には申し訳ない気持ちでいっぱいです。

サービスシーンもあるよ!! 

ネタバレなしではありますがこれくらいは書いちゃっても大丈夫だと思います。もちろんキリト君じゃなくてアスナさんのサービスシーンであります。あたくしにとってこの作品シリーズの予備知識というのが周回遅れで場末の映画館で観た「オーディナル・スケール」しかないものだからシリーズというか作品の世界観、ストレートに言っちゃうと「ノリ」がよくわからない。

 

だから映画冒頭からあるサービスシーンもお約束なのかなんなのかわからないんですが、これがね、良いんですよ。あまり大きな声では言えませんが着眼点が実によろしいというか

 

「わかってんなー」(てぃひ)

 

っていうね。女性監督だからなのか下品な方向に行かず、ある種のロマンティシズムともいえる描写をしてるのがね

 

「つかみはオッケー」

 

とか最近は言いませんけどまぁそういう感じです。

 

上から下にガバーッ!ってところよりも下から上にスゥーッってところね。まぁ全然伝わらないと思うんですが例えたら、脱衣と着衣、この作品の世界観としたら、どちらがより寄り添う形なのかっていうことよね。

 

アバターの着せ替えというか意外にもこのサービスシーンが、サービス以外の役割も果たしているのよね。

 

で、逆に中盤に出てくるサービスシーンは本当に11PMのうさぎちゃんというか

 

「効能は・・・」

 

とか言い出しそうな感じなんだけども、実際のそこにある意図は、失われた日常に対する回顧だったりするんだろうなぁと。

サービスじゃないシーンもあるよ!!

いや寧ろ、そのシーンの連続、ほとんどサービスじゃないシーンですよ。ご安心ください。当たり前だけど映画のテーマはサービスじゃないからね(何が?!)。

 

で、メインのストーリー部分では何が語られているのか、サービスシーンに込められた意味を理解できたあたくしたちにとって、その答えに辿り着くことは容易でございます(何が?!)。

思うに 

作品の「メインテーマ」とは

 

「裏切り裏切られ」

 

笑っちゃう涙の止め方も知らないby薬師丸ひろ子先生。いやその「メインテーマ」じゃないんで(何が?!)。

 

わかってる昨日の賢い私より少しだけ綺麗になったことby薬師丸ひろ子先生。いやだからその「メインテーマ」じゃないんで(何が?!)。

 

いや、あながち間違いというか当たらずとも遠からずといいますか。アスナさんの気持ちを考えますとね。で、その

 

「裏切り裏切られ」

 

というのは誰かとの関係であったり自分自身の期待であったり。それは良い意味でも悪い意味でも劇中で変わり続け転がり続けていく。自分自身もふくめて

 

「誰を、何を、信じるか」

 

ということでもあるんだけど、この映画のキリト君やアスナさんのようにそれを見つけることができた人はいいわよね。まぁそれが人生(ゲームのなかの話ではありますが)における良い意味でのしたたかさってことなんでしょう。

 

スクリーンの向こう側でもこちら側でもモブ(失礼!)にとっては、なかなかそうはいかないわけで、だからこそキリト君とアスナさん、二人の行く末が気になってしまう。

すでに公式で公開されている情報ですが 

そんなわけで


www.youtube.com

二人の今後がどうなるの?!ってな方に朗報、続編が2022年秋にに公開される予定でございます。もうまもなくでございます。まぁこういうテンポの良さはいいよね。

 

「to be continued」とラストシーンに出るのはいいんだけど続きが数年後とか更には某ダンジョンものみたいにまったく音沙汰ナシなんてことになると

 

「え~そもそも何のお話でしたっけ?!」

 

ってなっちゃうからね。こういうスピード感は大事。浮遊城アインクラッドは第100層まであるんだからね。ネタバレしないですけど今作ではまだ第〇層で先は長いよ。

で、また戻りますけど 

あんまり色々書けないのでまたね、サービスシーンの話になっちゃいますけど、下着のシーンがあるんですよ。

 

で、前の方でもちょっと書きましたけどもRPGのキャラクター、まぁ今回はアバターですけども装備をチェンジしていくことはあっても下着の概念って必要なのって話。

 

開発者の茅場晶彦氏のこだわりっていうのは、仮想世界に現実世界の日常を作り出すことなんでしょうけど、そのリアリティというのが女子中学生プレイヤーの下着であったりするあたりに彼のこの世界における「神」としての丁寧な仕事ぶりが遺憾なく発揮されていて、案外ご家族で観るような映画じゃなかったりするのかとちょっと思ってしまいましたよ、アニプレックスさん!(何が?)。

 

仮想世界におけるリアルというのは

 

「これが私の現実」

 

なんて劇中の台詞にありますけれども、それこそが最大の嘘だったりするんだよね。

 

「女子中学生、結城明日奈さんの汚れた下着はどうしてんだよ、茅場さん!」

 

というね。何処まで行ってもそこは現実じゃねぇだろうがよ!!飲み食いしたものは何処に消えてんだよ!!とかね色々ありますよ。

自分語りは辞めろ!!

あたくしが若い頃、某出版社の社長さんに

 

「人間は糞もすればセックスもする!そんな綺麗なもんじゃないんだ!」

 

とお説教されましたけども、この映画を観たなら、その意味がわかります、ええ、わかりますとも。

 

茅場さんはさ、結局のところロマンティシズム溢れる御仁なんだよね、きっと。プレイヤーが不快な思いをしないで済むような「現実」を提供してくれているんだよね。ちゃんと風呂とか着替えとか用意してくれている、わりといい人なんだ(何が?!)。

飲み食いといえば 

そう、劇中での飲み食いといえば黒パン。雨に濡れながら黒パンに噛り付くシーンがあるんだけれども、お嬢様であるアスナさんにとってはこれまた「零落」、自身の学校と家庭での生活がいかに恵まれたものであったことを犇々と感じる名シーン。

 

戻れない「現実」に涙するわけですが、生きているという実感はこの仮想空間にこそあったというなんたる皮肉。

え~総評 

ネタバレなしとかいいながら、ちょっとアレコレ書いてしまいましたので恐縮です。そして一夜限りのリバイバル上映で公開された新情報が

 

「わりとどうでもいい!!(失礼)」

 

的なね、部分もありますけどもw勿体ぶるような話でもねーだろうと。なんてね。ナマ言ってすみませんすみません。

 

映画は

 

「失くしたからわかるものってのもあるよね」

 

って話なんですけども、わりと前向き。失くした分、違うものを手に入れているし、手に入れようとしていくから。そのあたりはやっぱりアスナさんの「若さ」があるからね、良いと思います。

 

「これが『若さ』というものか」

 

ってやつですよ。

 

もうさ、歳とると失くすばっかりでしょ(痴呆?)。いや記憶ももちろんそうなんだけども拘りとか人とのつながりとかお金とかw色々あるんですけども、やっぱりいちばんは

 

若さ=強さ

 

だわよね。若いころは、列車の窓を開けて、いつでも自分の好きなところで飛び降りてやるくらいの気分(あくまで気分ねw)だったけど、今は

 

「このスピードで飛び降りたら死んじゃう!!」

 

だからね。困ったもんです。

 

さて、行先のわからない列車に飛び乗ったアスナさんの明日は如何に?!

 

 

劇場版「からかい上手の高木さん」を観てきたので感想とか(ネタバレなし)3回目

おつかれさまです。

いきなりクライマックス 

まぁいきなりクライマックスというか俺としたら冒頭

 

「西片、夏、始まるね」

 

っていう高木さんの声と同時に「劇場版からかい上手の高木さん」タイトルドーン!!と出るところね。開始3分くらい?そこがこの作品のクライマックス。正直言うと、その瞬間がすべてというか本質というか。

 

そのあとの話はね、あってもなくてもみたいなもんなんですよ(何が?!)。このあと70分くらいは寝ていても”オッケーよ”なんてなんて強がりばかりを俺も言いながら(小沢先生どうもすいません)です。

 

その開始3分に1900円払うかっていったらまぁアレですけど、ふたりの夏物語が始まる、恋の予感。安全地帯的に

 

「恋の予感がただかけぬけるだけ」

 

ってやつですよ。それだけで十分なの。この先どうなるんだ?!ってところが良いわけで実際にはどうなろうか、そんなことは知ったこっちゃねぇんだよって感じ、わかりますかね?!わからないと思います。わかっていただけないと思います。

 

松本隆先生仰るところの

 

WAKUWAKUさせてよ 

DOKIDOKIさせてよ

 

ってことなんです。

 

なぜ なぜ あなたは 

「好きだ」と言えないの 

 

これだよこれ。

 

「好きだ」

 

という手垢まみれの言葉。そんなありきたりな使い古された言葉。だけど見えない言葉。それを探す旅なわけですよ、西片と高木さんのね。

 

翔んで夏シマシタじゃねぇんだよ。小豆島はふたりの愛ランドじゃねぇんだよ(CHAGE先生どうもすいません)。俺としたら劇場版の週替わりEDは全曲安全地帯でもよかったくらいだね。ちょっと劇場版のEDチョイスのセンスは小奇麗すぎる。

中学生日記に期待しすぎ 

まぁ中学生のふたりに何を求めているんだというか、あれこれ求めすぎなんだろうけども、今、劇場では老若男女問わず劇場版「からかい上手の高木さん」を観ながら大粒の涙を流し、客席からの欠伸いや嗚咽で失神寸前。オーディエンスの慟哭で映画の台詞が聴き取れないくらいになっているわけじゃないですか(嘘)™。

 

なんで欠伸いや嗚咽(嘘)™をこらえているのかなっていうと、西片にしろ高木さんにしろ選んでないんですよ。まったく選んでない。答えに辿り着いていないの。言ってみたら

 

DEPARTURES(arrival ver.)

 

みたいなもんですよ(何が?!)。どっちだよっていう。はじまりなの?おしまいなの?出発も到着も同じところなんだよ。それってはじめからそこにいたってことじゃないの?

 

西片には高木さんしか、高木さんには西片しかいなかったの。辿り着いてないどころか、そもそも出発すらしてねぇ(そうか?)。ひとつの選択をすることは他の選択をしないことなんだけど、ふたりにはそれがない。何も失うものがないのに、失うことを恐れすぎなのよ。

 

ふたりにとってメリットしかないんだよね。そこを勿体ぶられてもね、ふたりの行く末自体はとっても退屈(失礼)。当人たちにとってはラブ・ドラマティックであるわけですが、観ている方からするとね、ズバリ退屈。収まるところに収まるだけだからね。作り手側からしたら

 

「何やってんだ、コイツら(ニヤキュン)™」

 

なんだろうけど受け取る側からすると

 

「何やってんだ、コイツら(欠伸)™」

 

意外性ってのが全くない。周囲の人たち含めて健康的なんだよね身体的にも精神的にも。「闇」とかそんなオーバーな話じゃないんだけどw中学生がそんな抱え込んでいるものがあるのかと言えば、そんなものはなくて良いのかもしれないけどね。

 

はじまりからおわりまで公認カップル(死語)、いつもふたりつかず離れずでしょ。そんなわけで、やたら夏だとのたまうわりにピリ辛スパイシーさってのは皆無。これはダイスケ的にもオールオッケーじゃないはず。いや当人たちにとっては色々あるんだけどw作劇的にというか。

 

自分の気持ちを上手く言葉にできない、モヤモヤしている西片がいつも通りにからかってきた高木さんをいきなりビンタする(昭和かよ)とかさ。劇場では

 

「こんなの『からかい上手の高木さん』じゃない!!」

 

って賛否両論が巻き起こるくらいの冒険はしてもいい頃だったと思います、はい。まぁ賛否というか否しかないだろうけどw

実は 

最初は、後期高齢者が昔を懐かしむための映画かと思っていたんだけど、どっちかというとw若い人向けだったね。道徳の教科書を読んでいるみたいな、とでもいえばいいのかな。

ネタバレしませんが 

まぁここからはじまり、だから西片と高木さん、ふたりがとあるスタート地点、未来を意識するところ、に辿り着いたという意味では

 

DEPARTURES(arrival ver.)

 

であっているとは思うんだけどね(何が?!)。

 

誰かと話をしたい時に、それって何か答えを知りたかったわけじゃなくて、声が聞きたかっただけというかね。それだけでよかったのに、さして意味のなかった質問に丁寧に答えてくれた感じ。この映画はそういうところがあるよね。別に何かを知りたかったわけじゃない。

 

「あぁそうなんす・・・」

 

としか言いようがない。そこは別にいいよってね。

小豆島ことガンダーラ 

この小豆島ことガンダーラのルールというか世界観がわからないもんだから(原作未読)、西片と高木さんの関係は古い言葉でいうと

 

「ずっと友達以上恋人未満」

 

みたいなところで劇場版はそこから

 

DEPARTURES(arrival ver.)

 

って(しつこい)ことでいいのかな。金鳥の夏、日本の夏、中三の夏っていうかなんだかそこに一生懸命なこだわりを、さらに全編にわたって見せてくれるんだけども、パンチが足りないわパンチが。

 

「顔はマズいからボディにしな」

 

的なね。いやそんな話じゃねぇだろって言われたらおっしゃるとおりでございます、はい。

いやそれでも 

何が足りないってさ 

 

あと1歩前へ進めばわかるの 

それともあと1歩下がればいいの 

 

っていう「とにかく無性に…」(Straight Run)さが足りない。西片は高木さんを、高木さんは西片をすでにお互いに独り占めしているからさ。不安な描写ってのがあっても軽薄。漂ってこないわけですよ。何がとは言いませんけどもまぁ余韻というか残り香的な。

 

「俺はそれでも高木さんが」

「わたしはやっぱり西片が」

 

って観客に思わせるような劇じゃないとダメでしょ。もうほんと全然ダメ(失礼)。何回も劇場に足を運んでやっと辿り着いた感想が

 

「もうほんと全然ダメ」

 

って・・・。そこは大人だからとか中学生だからとかじゃなくて劇だからね、ちゃんとやらないと。

え~総評 

正確に言えば「今風の」余韻も残り香もあるのだけれど、それを素直に受け入れるには自分が歳をとりすぎたというのか時代が違いすぎるというのか。

 

特別な瞬間もそうでない瞬間もあまりにも手軽に記憶ではなく記録にする、そんな毎日じゃ思い出の欠片の重さが違うでしょ。良い悪いじゃないんだけどね。

 

「真っ直ぐ来いよ」

 

ってより

 

「真っ直ぐしか来ようがない」

 

だもんで、これでいいんだろうけど二人の恋の行方とか「行くべきところへ行ってまいります」と最後の挨拶に「そらそうだろ・・・」としか言葉がでてこない、そんな映画だったね。

 

原作あるし終了しているわけでもないから無難にしかできないんだろうけど。むしろ原作の範疇を飛び出して、やらかしてこそ一回ポッキリの中三の夏じゃねぇのかよ。なんてね。

 

あるわけないよねぇ。西片も高木さんも何の不自由もしてないんだものw


www.youtube.com


スポンサードリンク