おつかれさまです。
これは
TVアニメシリーズは未視聴。総集編か新作かよくわからないまま劇場版前編のみ鑑賞済み。で、今回後編。
上映している劇場が近場になかったので仕方なく大都会まで足を伸ばした次第です。前編同様TVシリーズと何処がどう変わったのかはわからないままですが劇場作品として考えたら別に問題なし。時間が許すなら何度でも観たい。そんな映画でしたね。結局1回しか鑑賞できなかったのが悔やまれます、はい。以上。
え?!感想おわり?!
いやまぁこの作品は謎解きとか考察とか、そういう部分ももちろんありますけども、作品の肝としたらキャラクターたちの見た目に反して(何が?)骨太といいますかガツンとくるものがあります。これがね、また良いんですよ、はい。以上。
え?!感想おわり?!
良い作品て、あんまり書くことないのよね。満足しちゃうからw
で、
前編から散りばめられてた謎が解明されるのか。あらゆる伏線が全て回収されるのかって話なんですけども、それについては正直全然わからなかったのね。結局最後まで
「誰だよ。。。」
みたいなのもあるし。
「なんか適当に誤魔化そうとしてねぇか?!」
みたいな。いや、良識ある先輩諸兄には理解できたのかもしれないけれどあたくしにはね、
「なるほど!そうだったんだニャー!」
ってのはなかったわね。で、それが鑑賞中また鑑賞後スッキリせずモヤモヤしたまま
「どうすんだ、これ」
ってのはないわけ。そんなことは感じさせない。もうね、そういうことはどうでもいい、ただただ涙、涙の終幕。いや劇中も涙なしには観ていられないんだけどもね。前編から再度ぶっ続けで観たくなるね、これは。
いや、これはね
いや、これはね、素晴らしいですよ。謎とか考察とか本当にどうでもよくなる。
「これが、あれが云々」
とかね、大事なことはそれじゃねぇだろっていうのかな。
何者にも
劇中で、前編冒頭から
「何者にもなれない、おまえたちに告げる」
って感じの上から目線、おまえこそ何者なんだ?ってのはあるわけですけど最後にね、ちゃんとその「お告げ」、メッセージってのはわかる。老若男女問わず、これは胸にくるものがあると思う。
誰だよ
まぁなんですか。世間では何者にもなれないって良く言いますけど、そもそもその
「何者」
って誰だよって話だよね。今はこの言葉、他人を冷笑するために使うことが多いんじゃないかしらね。
この「何者」ってのが実体としては存在しないって言ったらおかしいけど、いつの間にか
「自分が勝手に想像していた、たいそうご立派な肩書のある大人」
ってことになっているじゃない?その虚像というか幻像というかは、レールから外れた人、動けなくなってしまった人にとって忌まわしい存在で、人生を高みの見物をしている、ご立派なみなさまからすると安心安全な拠り所でもあったり。
そんなもんで、そこに辿り着けなかった人たちはどうするの?!ってね、話。
だから誰だよ
「何者にもなれない」
って思い描いていた、ありもしない虚像、勝手に想像していた姿になれない。いつかどこかに居てほしい自分の姿。そこからどんどん離れていってしまうことを嘆くんじゃなくてね。
「何者」ってさ、つまるところ「自分自身」でしょ。立派かどうか。陽の当たる大通りをステップ踏んでいるかどうかじゃないんだよ。
今、ここに居ない誰かになることじゃないんだよ。いつも言い訳を用意して自分自身であろうとすることすら放棄しようとする人に向けてのメッセージ。それが劇中での
「何者にもなれない、おまえたちに告げる」
っていうか3年B組的に言えば「贈る言葉」と思うわけです。
え~総評
そんな暑苦しい映画じゃねえだろうがよ!って方もいらっしゃるでしょうが、まぁそこはユーモアセンスの違いということでご容赦ください。
人生って何?生きるってどういうこと?それに対する答えを教えてくれる映画だったかどうかはさておきw昨今の世知辛い世の中、何かを諦めることはあるだろうけども
「他の誰か」
じゃなくて
「自分自身」
であり続けることまでも放棄してしまうことはないだろう、と。
他人様から見て「何者」かどうかじゃねえんだよ、おまえがおまえ自身であろうとする時こそが「何者かになれた」その瞬間なんだ、と。
まぁそういうことなんだろうね(何が?)。
まぁなんですか
良い映画だとね、本当にあんまり書くことないんですよ。人間ブツブツ言いたくならないでしょw
またいつかどこか劇場で観たいわね。。。
え?!そんな話だったっけ。まったく憶えていないわ。。。