おつかれさまです。
新劇場版 第三弾
ヱヴァンゲリヲンの新劇場版は「序」「破」「Q」そして「シン・エヴァンゲリオン」の4作品。完結編である「シン・エヴァンゲリオン」
公開が2021年1月に迫るなか、今回は久しぶりに「Q」を観てきたわけですが
「序」 TV版の再構築
「破」「序」の続編
「Q」 「破」の続編を謳いながらほぼほぼ新作
「シン・エヴァンゲリオン」 「Q」の続編・シリーズ完結編
という解釈で良いのかしらん。新劇場版はスタッフロールの後にTV版風の次回予告があるのだけれど「破」公開時にあった「Q」予告編と公開された「Q」上映版が
「全然違うんじゃないの、これ?!」
という感じよね。あの予告編はいったい何だったんだっていう。。。
「Q」公開当時の評判
当時は圧倒的に不評が多かったような印象だわね。まぁその不評の理由は「序」「破」に散りばめられてきた謎を今回も放置、更に唐突な新設定と新たなる謎を巻き散らかす方式で
「本当に風呂敷をたたむ気があるのか?!」
っていうね。で、逆に好評というのは「これぞエヴァンゲリオン」っていう(何が?!)。まぁ投げっぱなしで回収しないのがエヴァンゲリオンでしょっていうスタンス。
新劇場版と銘打っているだけにこのほぼ新作であるエヴァンゲリオンを待っていた方たちもいたのよね。実はあたくしもそのひとりでございました。寧ろ「Q」から始まる物語であっても良かったくらいです、はい。「序」を観た時の「総集編かよ!?」っていう密かな苛立ちが一気にぶっ飛んだ次第です。
物語の本質
それについては「序」と「破」の感想でも書きましたが基本今回の「Q」でも同じ思いです。そして今回のカヲル君の台詞でもあったようにやっぱりエヴァンゲリオンは
「シンジ君の居場所を探す物語」
と思うのよね。で、何が「序」「破」と「Q」で変わったかというと見せ方よね。真逆になっている。何が真逆なんだって話ではあるんですけども。
真逆になった見せ方
「序」「破」では乗らないと言ったシンジ君がヱヴァンゲリヲンに乗ることから始まる物語。「Q」は乗るといったシンジ君がヱヴァンゲリヲンに乗らないことから始まる物語。
乗らない→乗れ
乗ります→乗るな
の違いなんだけどざっくり言ってしまうと「あれこれ煩い肉親」と「冷酷な他人」に振り回される「自分」というのかな。
まぁいずれにしても最終的にはヱヴァンゲリヲンに搭乗してすべてをリセットしてしまう。
リセットの重み
リセットっていうと言葉の響きがネガティブなんですけども、世界をリセットするトリガーとしての存在。シンジ君は良い方向へ世界を導こうとしているだけなんだよね。決断と行為の軽重とは別に。
劇中終盤に「槍」が重要なアイテムとして登場するわけですが
「槍を直す」=「槍」だけに「やり直す」
っていうほとんど駄洒落みたいな展開につながっていくのよね。
いや、そんな軽いタッチの物語じゃないような気がするけれども、物事をうまくやるコツっていうものがあるとすれば、シンジ君とは正反対の考え方
「あまり難しく考えないこと」
が大事なんじゃないかしらんと思ってみたりするわけです。
「Q」で提示された新たな謎はどうなる?!
すべての謎が完結編で解き明かされなくても良いんじゃなかなという気持ちでございます。受け手が作品を形作る断片から何かをそれぞれつなぎ合わせていけば良いといいますか。
作り手側からの「あれは○○の意味です」云々ありがたいネタバレは、今回、少々遠慮をお願いしたい感じだわねぇ。
結局、シンジ君の居場所が見つかれば、その他のことはあまりたいした話じゃないしねw
【公式】『これまでのヱヴァンゲリヲン新劇場版』【庵野秀明編集】
これ観てもさっぱりわからんですw
映画館まで行かなくてもAmazonさんで見放題だったわ。。。