おつかれさまです。
相変わらずの放置プレイ
前作、新劇場版:序に続いて今回も引き続き投げっぱなし。匂わせるだけ匂わせて結局のところ何が何だかわからないまま。前作の謎は今作でも謎。まったく解決しない。でもそれがいい。意味深な言葉の羅列から辿る謎解きはさておき、というかあくまでそのあたりのことは
「それぞれが自分の居場所を探す物語」
を構成するための枝葉というか。ぶっちゃけ本当はどうでもいいことなんじゃないかって気さえしてくる次第でございます、はい。
大人も子供も
自分の居場所を探す、それは少年少女だけではなく大人も含めてのこと、いつの時代もそれが生きていくということ、なのかしらね。
「綾波だけは助ける!!」
っていうシンジ君の台詞。そこに辿り着くためのアイテムとしての劇中の設定や思わせぶりな言葉など、もうどうでもいい。すべてはその台詞のために用意された茶番劇というかね。
今作は、誰のためでもない、自分の望む世界のためにその足を踏み出す。その瞬間を描くためにあったような気がするのよね。
生きていくなかで
生きていくなかで「嫌なこと」というのは大人でも子供でもあって、それはシンジ君だけじゃないんだよね。
で、そこから耳を塞いで独りでいることもできるのだけれど、もうひとつの生き方として、自分以外の誰かとの絆をつないでいく。そうすることで自分の居場所、足を踏みしめるための大地ができ「嫌なこと」に対峙することができる。独りでは生きていけないという考え方。
そしてそれは自分のための誰かであり、誰かのための自分であり、それこそが「人類補完計画」なんだって話だと思うんですよ。
ヱヴァンゲリヲンって色々謎解き本が出たりしましたけど、つまるところSF的な考証、考察ってのは風呂敷を畳もうとするためにこねくり回していただけでお話としてはもっとシンプルで、最初から最後まで
『「自分が居ても良い場所」に辿り着くには』
っていう物語。そんなもんだから今後も伏線とかぶっちゃけ回収されなくてもいいんじゃないかな、と思う次第でございます、はい。
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ヱヴァンゲリヲンって実はループものなんじゃないの?!って話がありますよね。実はあたくしもそう思っているんです。
これは登場人物の誰もが「自分が居ても良い場所」を探す物語で、そこにたどり着くために何度でも何度でも繰り返される世界なんじゃないかしらね。
2021年1月23日に公開される完結編もあくまで「今回の」結末というだけで、それが正解とは限らない世界だったり。。。なんてね。