おつかれさまです。
「おジャ魔女どれみ」完全新作?!
この映画を観て最初に思ったのは「完全新作」≠「続編」ではないということ。
「おジャ魔女どれみ」がテレビ画面の向こう側の物語だとすると「魔女見習いをさがして」はテレビ画面のこちら側の出来事。今回、「おジャ魔女どれみ」が作り話だったことを前提に
「大人にとっての魔法とは何か?」
がテーマだったと思うのよねぇ。主人公たちが一歩踏み出すその「きっかけ」。前へ進もうとする小さな勇気を「魔法」として描こうとしていると思うんだけど、そもそもそれが20年待っていた「おジャ魔女どれみ」ヲタにとって期待していた作品、完全新作というフレーズからくる想いに寄り添うことができたかというと残念ながら素直にうなずけないところもございました、はい。
聖地巡礼アニメ?!
進路、仕事、恋愛。大人が一歩立ち止まってしまう、戸惑い、躊躇いの瞬間。
居心地の悪さをかかえながら毎日を過ごしている三人、長瀬ソラ(名古屋)、吉川ミレ(東京)、川谷レイカ(尾道)。偶然、鎌倉にあるMAHO堂で出会った彼女たちが意気投合し「おジャ魔女どれみ」ゆかりの地、飛騨高山、京都、奈良と食べ歩きの旅へ。
って、この聖地巡礼も中途半端というか20周年記念作品だったら新世代のどれみヲタの発掘、もっと言ってしまえばどれみに想い入れのほとんどない世代に向けて『「おジャ魔女どれみ」って、こういう物語なんだ』と作品を掘り下げるような展開もなく。
さして不自由な暮らしではないが、なんとなく満たされない毎日を送る彼女たちが非日常感を求めて旅行をしているだけに見えてしまう。
画もきれいだし丁寧に作っているだけにもったいない。いったい誰に何を訴えたいのか考え込んでしまう。。。少なくとも聖地巡礼アニメとしてはダメだよね。いや、聖地巡礼アニメとして作っていないのかもしれないけどねw
魔法を信じてみたくなる?!
彼女たち三人の中で、魔法を信じてみたい境遇にあるのは川谷レイカ。両親は子供の頃に離婚。フリーターをしながら絵の勉強をしているが、自称ミュージシャンの男に貢いでギリギリの生活。
大学生である長瀬ソラ、大手商社勤務の吉川ミレのような地に足のついた毎日ではなく、ふと流されてしまう日々。彼女のエピソードだけがずば抜けてヘビー。
実際、映画の物語も川谷レイカの「魔法を信じてみたくなる」瞬間を中心に描かれていると思う。別の言い方をすると魔法でもなきゃその泥沼のような生活からある日突然抜け出すことはできないだろうという。
まぁ長瀬ソラと吉川ミレの二人も今までの暮らしを捨て、新しい日常を求めて飛び出すのだけれど、それは魔法、奇跡を信じて願うようなものではなく手を伸ばせば届くところにあるもの。『それ「魔法」いる?!」っていう。川谷レイカのような過去の自分との決別、呪縛からの解放ではないのよね。
安易なハッピーエンド?!
ネタバレですけども最後は、三人がはじめて出会ったMAHO堂でカフェをオープンして、なりたかった本当の自分を見つけてメデタシメデタシって感じなのね。
でもねぇ、「おジャ魔女どれみ」も20周年、それを観て育った世代はもう大人でしょ。こんな安易な夢物語で満足なのかしらん。映画なんだから「悩みを努力でクリアして夢を叶える」そのきっかけが「魔法」でないと物語として成立していないと思うのよ。
この映画に登場する彼女たちは
なんかしんどいわー
→聖地巡礼
→飲酒
→大団円
ってな感じでオーディエンスの共感ってのはなかなか得られないんじゃないかしらねぇ。。。篠原涼子女史いわく「平凡なハッピーじゃ物足りない」ってことよね。映画なんだから。
結局のところ「魔法」って
長瀬ソラ、吉川ミレ、川谷レイカ。三人の人生を変えたものがあるとすれば、別々の場所で暮らしていた彼女たちの、その出会いよね。そしてそのきっかけこそが「おジャ魔女どれみ」であり偶然という名の「魔法」。
まぁそう言っちゃうと予告編だけ観たら本編いらないじゃんっていう。。。それくらい本編が薄味っていうのかしらね。
おジャ魔女どれみ20周年記念作品「魔女見習いをさがして」Final予告
丁寧に作っているのはわかるんだけど肝心の中身が、かつてのファンにも届かず新しいファンを掘り起こすこともできずって感じで少し残念でしたね。
おジャ魔女どれみ20周年記念作品『魔女見習いをさがして』特別公開~本編冒頭6分アヴァン映像~
画と音は本当にきれいなんですよ。ただ物語がね(失礼!)。。。
プライム会員は見放題よ!!