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TVアニメ「神之塔」第九話の感想とか


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おつかれさまです。

エンドロシの暴走 

Bチームの釣り師二人を蹴落とすことで自分が先に進もうとするエンドロシ。これが塔に上るということ。夜に対して「これと同じことができるならラヘルのもとへ行け」と言い放つ。

 

エンドロシはジハードの姫になるために姉たちを殺害して自分一人が生き残った過去の話をし、先に進むにはこの方法しかないという。エンドロシがアナクに対して憤りを感じていたのはこのことあったからなのね。アナクはジハードの姫になるのに誰かを蹴落とす必要がなかったから。

 

エンドロシの強さの秘密というは自らの目的のためには他者がどうなろうと知ったことじゃない、寧ろ自分のために犠牲にしてやるっていう徹底した自己中心主義なんだろうけど、一方で先に進む仲間としてアナクのことを気にかけていたりする面もあったりするので「エンドロシ憎し」とならないのは物語の上手いところのよね。

ハツ 

自分がおとりになっている間に背後から槍でランカーを狙う計画を立てるハツ。だがハツがランカーであるクォントとの戦闘中に槍使いの2名は「ランカーに敵うわけない」と現場からさっさと逃走。自らを犠牲にしたハツの作戦は失敗に終わる。

 

まぁ逃げ出した2名の槍使いも結局はランカーに追いつかれてやられてしまうのだけれど、自分より弱いものを信じるっていうのは難しいわよねぇ。これはハツが可哀そう。

 

現実社会でもそうなんだけど意外と仕事仲間ってあっさりしているからねwまぁあっさりというか誰もが自分が損をしないように行動しているというか、だからあんまり真面目に「自分を犠牲にして」ことがうまく運ぶようになんて計画すると、とんでもないちゃぶ台返しを喰らったりする。

 

裏切っているって感覚はないのよね。彼らには。ただ自分たちが助かる最善の方法を選択しているだけだから。ただ残されたものとしたら裏切られたという気持ちしか残らない。信じるに値する存在ってそんなにいないのよ、悲しいけど現実なのよね、これ。いや現実じゃなくてアニメなんだけどww

 

だからこそ先に進むためには、例え間違っていようとエンドロシのようにやるしかないっていうのもわかります、はい。

ホーとラヘル 

そしてまた先に進むために手段を択ばないものがここにも。ホーはポジション争いで自分より上にいる夜を排除するために、ラヘルを呼び出し殺害しようとする。ホーのもとにとどいた一通の謎の手紙。その中には自分が塔に上るために夜を消す方法が書かれていたという。

 

ラヘルは突きつけられた短剣から逃れようとして藻掻くうちにホーに背後から刺されてしまう。実力で夜にかなわない以上こうするしかなかったホーに対して夜は「他に方法はなかったのか」と問うが今となってはすべてきれいごと。

 

ホーからすれば、それは何もかも持っているものの考え。自分のように何もないものにとってはすべてがきれいごとだと。

 

本当は塔を上るためにラヘルを消そうとしたのではない、ただ夜が憎かった。と言い残しみずから短剣を胸に刺し絶命するホー。謎の手紙にはめられたことを薄々感じながらも、非力な自分が力あるものに抗うにはこうするしかなかったというエンドロシとはまた別の意味での「間違っていてもやるしかな」なんだよね。

エンドロシとクォント 

「人は全部手に入れることはできない 必ず何かを失う日がくる だからこそ後悔しないように前に進む」

 

「やりたいようにやりなさい」

 

と夜に語るエンドロシ。そしてエンドロシとクォントの最終戦が始まる。結果としては策にはめられたクォントの負け、つまりはBチームの勝ちってことなんだけど、ラヘルの負傷とともになぜか合格者としてラークとともに試験を観覧していた無口マンが突如消失。無口マンとラヘルの関係や如何に?!っていうかやりたいようにやれる性格だったら苦労しないわよね、誰もw

 

やりたいようにやればいいじゃん♪ってのはしゅごキャラのOP「こころのたまご」の歌詞です。しゅごキャラがついてるよ♪ってなことだそうです。


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