おつかれさまです。
どなたでもお越しいただけます
ってお言葉に甘えて本日は埼玉県立芸術総合高等学校にお邪魔してまいりました。今回は18期生さんの引退公演ということで客席に「愛」が溢れていたわね。ユーミンいうところのやさしさに包まれまくってましたよね。
作品を観て何かを語ろうとかwそういう拗らせた視線じゃなくて18期生のみなさまに対する「愛」ですよ「愛」。開場待ちの列からもう溢れていました、いや正直いうと小手指駅のバス停からすでに芸総演劇部さんに対する「愛」ってのが満ち溢れておりました。
まぁ別の言い方するとひとりオネェにとっては本日も超絶アウェー感全開っていうんでしょうか。またちょっとハードル高かったかしらね。。。
上演作品は
勉強不足で恐縮でございますがオリジナルを観劇したことがないのでタイトルからすると「18期生さんがいなかった頃といなくなってから」ってことに掛けてるのかなって思っていたんですけどもちょっと勘繰りすぎかしらねwいやまぁそこに関しては解釈というかユーモアセンスの違いということでご容赦いただきたいかなと思います。
全く別の道を歩いていた生まれも育ちも違う命が偶然に出会い、ともに過ごした時間を経て再びそれぞれの道を歩いていくってテーマを親子であったり友人であったり初恋であったりと角度を変えて描いていくけれど、あたくしにはやっぱり18期生さんと演劇部、そして帰る場所であった芸術総合高校が二度と戻ることのできない旅立ちの場所として彼らを見送るメタファーと受け止めておりました。
18期生さんが旅立つことによって新しい生徒さんたちが芸総演劇部に入部することができるわけで、18期生さんが入部する前から流れていた「血」は彼らがここから巣立つことによってはじめて新しい世代に受け継がれるっていうね。
飛び立つことでそこにあった足跡に気がつく。芸総演劇部での仲間と出会い、過ごした時間は偶然の連続だけれどここから新たな世界に踏み出すこと、それぞれが別々の道を歩むことは偶然ではなく三年前から決まっていた運命なのよね。この日が来ることはずっと前から知っていたのだけれど変えることのできない運命だからこそ人は涙を禁じ得ないのよ。なんてね。
但しセーラー服と機関銃でおなじみの歌詞
「さよならは 別れの言葉じゃなくて 再び会うまでの遠い約束」
っていうことは忘れちゃダメよ。これ人生の大事なとこね。
ステージ構成は
開場して吃驚したのはこちらの高校だからこその広いスペースと馬蹄形の客席。センターステージっていうのかしらね。どの角度から観ても良い演出って難しいじゃない?常に客席に背中を見せているわけだから芝居という意味では非常に神経を使うステージだったと思います。
見る角度で客席から舞台の印象って変わってきてしまうと思うしそれが意図した演出と噛み合っているか正直わからないわけで、演出的には「この角度から見た絵面が正解」ってのはとくにないのかしらん。「ご自由に」なのかある意味「投げっぱなし」なのかそのあたりはどうだったのかしらね。
気になったところとか
どなたでもお越しいただけますってことで初めておじゃましたんですけども校門入りましたらちゃんと案内ありましたんであたくしのようなひとりオネェも安心でございます。
まぁ白状すると体育館がどちらかわからないので到着前にGoogleEarthで少し予習していきました。
あ、そうそう。便所サンダルあったのよねぇ。これがいちばん吃驚って何しに行ったんだよって話ですけど最近なかなか便所サンダルがある学校さんってなかったのよね。まぁ別にいいんですけどw
あとはそうね。こちらの演劇部さんに限らないですけど大所帯の演劇部公演ってどうしても客席の身内率が高くなりますでしょ?そうしますとギャグの沸点がね、とっても低いんですよw
ステージに立つだけで拍手がもらえる環境っていうのかな。ステージに立つ身としてはとってもありがたいことだと思うんです。別の言い方すると「出演者のみなさんに対する愛に溢れている」っていうのかしらん。いや本日の公演の趣旨としたらそれでいいと思うんです。今日まで走り抜けてきたことに対しての「愛」だからね。
ただ、あたくし「ギャグは滑ってなんぼ」というスタンスなんで「前説ないのに客席があたたまりすぎ!」っていうのはありましたねぇ。これから旅立つ若者に冷や水浴びせる必要もまったくないんですけどもwまぁそのへんはユーモアセンスの違いってことでご容赦くださいませ。
で、学校の地理的なこともあるのかもしれないですけれどなんとなく全体に閉じた印象っていうのかしらね。引退公演だからというか引退公演だからこそ「これから」っていう未来を感じさせないとって思うんだけどなんとなく寂しい感じで終わったのがあたくし的にはちょっと気になりましたけど、やっぱりそれもユーモアセンスの違いってことなのかしらね。