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2019年度 埼玉県高等学校演劇連盟 西部A地区 秋季地区発表会にお邪魔したわよ 埼玉県立新座高等学校 「夢遊少女」 編


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おつかれさまです。

渋い作品で攻めてきたなと

夢遊少女と書いてドリームガールズと読む。ドリームガールズって映画あったけどまぁこちらはそういうショービジネス的な話じゃなくて夢遊病を患った少女たちとそれに関わる大人たちの物語。舞台セットはシンプルな感じというより小道具中心だけど逆にそれが作品の雰囲気にあってる。演劇部は女子生徒さんだけなのかな、こちらの学校は。年上の男性の役っていうのは女子生徒さんしかいないと難しいよね。どうしても「おっさん」が小奇麗になっちゃうからw今回、生徒さんたちの実年齢より基本的に上の年齢の役が多いので、そういう意味で演じていくことがすごく難しい作品だと思うわね。

隔離された世界と大人たち

高校生活って基本、同年代の隔離された世界じゃない?だから大人を演じる時にモデルになるのって学校の先生だったり家族だったりするんだろうけど、それ他人の大人じゃなくてきちんとしたって言い方変だけどあやしい存在じゃなくてあくまで味方、理解者だからね、生徒さんたちの。物語にでてくる大人は理解しようとしているフリの大人だから。で、舞台を観てると実は隔離、差別された少女たちの話ではなく自分たちが理解できない存在を「特別な存在」としてカテゴライズすることで安心したい大人の物語っていうか。実はいつの時代も関係が交わる若者と大人というのかしらね。理解をしようとして彼女たちを研究対象として冷徹なまなざしで観察し続ける医者と理解をしようとして彼女たちを取材対象として観察し続けるジャーナリスト。二人の大人が自分たちの理解を超えた存在である「ドリームガールズ」を特殊な病気として扱うことで日常が正常であると安堵したがっているのよね。

夢と現実と相川七瀬

でも実際には自分たちにはわからない存在もひっくるめての現実だったりするわけでね。ドリームガールズがシンクロすることで実は未来予知ができるんだけど、その未来予知は現実に起こるわけで「夢見る少女」が「夢見る少女じゃいられない」存在になるのよね。夢じゃなく現実になるわけだから。でこの舞台のいちばんの肝は眠っている夢遊少女たちの言葉によって起きているはずの大人が本当の自分を目覚めさせるところ。過去に教え子である夢遊少女の言葉を信じることができず彼女を救えなかったトラウマで心を眠らせてしまったジャーナリストが、今再び夢遊少女たちの言葉によって本当の自分を取り戻すというね。

観終わったあと色々考えちゃう

ある程度歳を重ねると正直な話どこかで自分に嘘ついて生活している、まぁ誤魔化してるというか誤魔化してる自分を正当化というか「これが現実さ。。。」なんて言いながら死んだようにはオーバーだけどかつての自分を眠らせて生きていることって多少ね、まぁ多少は誰でもあると思うのよ。「なんか違うな」と違和感を抱きつつそういう自分を肯定することが大人になるというか大人でいることだと思うようになるというのかしらね。客席には若い方が多いからあんまりこういうことは感じないかもしれないけれどw

ラストの余韻がいい

最後ね、オリジナルの本だとどうなっているかわからないのだかけれど今回の舞台で好きなのは最後ね、ジャーナリストが本当の自分に目覚めてある行動をとるのだけれど、その結果はわからないまま幕がおりるのよ。だから過去を引きずったまま死んだように生きているのが良かったのか、もう一度自分自身の思いに素直に生きるのが良かったのか、そのあたりはぼやかしたままなのね。今の現実をひっくり返したところでそれが好転するとは限らないじゃない?そういう余韻を残したまま幕引きなのはうまいなぁと思います。目を覚まさなかったらどっちが夢でどっちが現実かなんてわからないんだからねw

今回顧問の先生の潤色のようですけども大人である先生の想うところや如何に?!って感じでございます、はい。

 

siro-touch.hatenablog.com

 


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