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この世界には、まだ愛がある というよりこれは松井五郎先生おっしゃるところの「きっとここから愛なんだ」ってやつだろう って感じたあたくしの映画「薄暮」感想のつづき


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2019/06/27

 おつかれさまです。

この映画の違和感は

そんなわけで「この世界には、まだ愛がある」のキャッチコピーでお馴染み、映画「薄暮」の感想なんですけども、どこまでお話したかしらね。あ、そうそう主人公の彼氏となる祐介がね、初恋の少女の画を書いたスケッチブックをずっと持ち歩いているわけですよ。純情といえば確かに純情なんだけれども絵画というのは写真よりもはるかに念を込めることができる瞬間の封じ方だから、しかも自分の都合の良い理想の姿として改変しつづけることができるわけじゃない?だから佐智が彼の思い出の中の少女のことを気にして、その行為そのものに違和感を抱かないというのがあたくしにとってのしこりというか喉の痞えになってしまってるというか。

後悔したくないなら

この作品でもそうなんだけど今の子達は簡単につながることができるツールを使いこなせる世代なわけで「もう後悔したくない」祐介がやたらと佐智とつながっていく状況もあたくしのような老い耄れからすると「後悔するにはまだまだまだ早過ぎ」というのかしらね。その気力とツールがあるならまだやれることあるだろうと。本当に後悔したくないならあきらめるのは早いだろうと。そんなにすぐ次にいってしまっていいのだろうかと。

オネェから見た少年少女

ここではない世界って震災のせいで失ってしまった日常ってことなんだろうけど初恋の少女との別れが祐介にとって世界の喪失であったならば、記憶の中の彼女を失いたくないがために描き続けた画を今も持ち歩いているならば、(スケッチブックが一冊しかないからとかそんな理由かどうかはさておき)人気のない場所で一人黄昏ている佐智に声をかけるなんてしないんじゃないかしらと思ってしまうのよね。絵を描くのにいい場所教えろとか一曲弾いてくれとか親しくもないのにいきなり求めすぎな祐介と一人の時間を大切にしているのに何故か他人に流されてしまう佐智との関係は純情やピュアという言葉よりも震災の後遺症、「今日までの世界が突然前触れもなく明日は違う世界になってしまうかもしれない」という未来への不安からくる今、この瞬間への依存とでもいうのかしらね。性急というか生き急ぐ二人が実はこの世界にはまだ続きがある、と理解できるようになる瞬間そして今日と明日のつながる瞬間、薄暮。それをして愛と呼ぶならばこの映画、この世界には確かに「愛」があるんだろうけども。(つづく)

 

siro-touch.hatenablog.com

 


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